会社案内

社長メッセージ

2025年7月1日をもちまして、当社は創立100周年を迎えました。
当社が100年の長きにわたり、事業を続けることができましたのは、株主、顧客・取引先、地域社会の皆様、そして社員をはじめ、全てのステークスホルダーの格別のご愛顧、ご支援の賜物であると心より感謝しております。

当社は、1925年7月1日、大阪市西区江戸堀に瀧本善次郎・勇造・逸次 兄弟が「瀧本合名会社」を設立したのが始まりです。羅紗製品の製造卸と羅紗の卸を目的に営業を開始しました。しばらくして会社が地に足を着けた1927年、金融恐慌で取引先の近江銀行が閉鎖となり、大きな痛手を負いました。その後は子供服専業化に踏み切り、「虎印」を取り入れ商品のイメージアップにより会社は発展しましたが、第二次世界大戦下では統治経済で苦境に立たされました。
1946年、統制会社として業務再開となり、1948年1月、瀧本株式会社に改称し大阪市東区唐物町(御堂筋)の太陽ビル内に営業所を新設し業務を開始しました。その後間もなく学生服の生産、販売も始めました。当時は中学、高校、大学と男子学生のほとんどが学生服を着用する時代であったことから、その販売量も大きく、当社の重要品目となりました。それが今日のスクールタイガー学生服の始まりです。
その後は石油ショック、円高不況、バブル崩壊など幾度となく困難にも直面し、経済危機に陥る場面もありましたが、そのたびに諸先輩方々は困難な状況を乗り越え、関西唯一の制服メーカーとして全国に展開し続けています。

時代と共に世の中の変化が激しく、少子化が進み市況が厳しくなる中、当社は次の100年に向けて歩み始めました。今年から新中期計画に基づき「ファーストコールカンパニー」をキーワードに、新たな学校開拓と価値創造で、学校制服を通じてさらに社会に貢献する企業へと成長する事を目指します。
100年史に記されている先人たちの探求心、開拓心、そして苦境に決して負けない強い信念が、現在そして未来の経営者、社員の挑戦心を掻き立て、会社発展に寄与する事を期待します。
引き続き社会への貢献と事業発展のため精進してまいりますので、今後とも何卒末永く、ご支援、ご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い致します。

瀧本株式会社
代表取締役社長

安田和弘

100年の歩み

1925-1945年

子供服専業から業容拡大へ

羅紗製品を主要品目に、瀧本合名会社設立

近代化の波が社会に広がり始めていた1925(大正14 )年7月1日、大阪市西区江戸堀に「瀧本合名会社」が創業した。当初扱っていたのは「羅紗」という厚地の毛織物で、トンビ(男性用外套)や婦人コート、学生マントなどの製造・販売を始めたが、その後、園児服に代わって広まり出した子供服も一部扱うようになった。製造面では大阪周辺の下請工場から優秀な工場を選び、当時から品質には細心の注意を払っていた。

「虎印」(後のスクールタイガー)で商品販売

1930(昭和5)年、大阪市東区(現・中央区)谷町に本店を移したのを機に、子供服の専業に業種を転換した。これに合わせて「虎印」のマークが入ったラベルを作製し、商品の袖に付けたほか、包装、伝票、荷札、手帳に至るまで使用。同業他社との差別化やブランド訴求を図った。これが後の「スクールタイガー」の原形となる。この時期、北海道の百貨店と取引を開始したのを機に、北海道および東北地方のシェアを伸ばし、成長発展の礎となった。

創業10周年、子供服販売量で全国1位に

1932(昭和7)年から日本の内政・外交は多事多難な時期を迎えていたが、景気は徐々に回復しつつあった。1935年に創業10周年を迎えた当社は、翌年に子供服販売量で全国1位を記録し、年間売上高100万円を突破した。得意先も北は北海道から南は九州まで、全国各地の主要百貨店や販売店が266店、台湾や朝鮮、満州の海外でも112店に上った。生産品種は子供服以外にも婦人物、毛糸製品、綿製品、絹製品など多岐にわたったが、中でも婦人物セーターの扱いが

日本一となり、国内はもとより台湾、朝鮮、満州でも手広く販売した。1938年、統制経済に移行する中においても、国民の買いだめ気運の高まりから売り上げは一時伸びを見せたが、戦時体制の進展によって営業縮小を余儀なくされ、統制会社として吸収された後、1945年には空襲で本店営業所を焼失。同年8月、終戦を迎えることになった。

1925-1945年

学生服分野で全国規模の企業に

瀧本株式会社に社名変更

終戦間もない1946(昭和21)年9月、大阪市東成区神路町で統制会社として業務を再開した。1948年1月、瀧本株式会社に社名変更し、営業所を大阪市東区(現・中央区)唐物町に新設して仕入れ・販売などの業務を開始。紡毛織物の切符制度が廃止されたことから元卸売業者から手広く生地を買い集めて、高級婦人服、子供服の生産・販売を始めた。短期生産、早期出荷で業績が上がり、戦後の急速な発展の原動力となった。

スクールタイガー学生服の始まり

1949(昭和24)年頃から本格的に学生服の生産、販売を始めた。男子学生の大半が学生服を着用する時代で販売量も大きく重要品目となった。「スクールタイガー」学生服の始まりである。従来は年齢サイズであった学生服を、身体に合わせた号数サイズに変更したほか、日本で初めてセルロイドのカラーを付けて売り出した。1952年に東洋レーヨン(現・東レ)の指定メーカーになり、販売代理店制度を導入して系列販売を実施したことが、市場拡大に拍車をかけた。

積極的な宣伝活動で全国規模へ

1948(昭和23)年頃から販促活動に力を入れ、地域の商店街と一体となったイベントや抽選券付き販売、宣伝カーによる全国キャラバンを実施。1951年の民間ラジオ放送開始直後から、クイズなどの娯楽番組を通じて「スクールタイガー」の知名度を高め、全国規模の企業に成長していく。業容拡大に伴い、1953年に本店を大阪市東区(現・中央区)谷町に移転。1952年10月には札幌出張所、1953年に名古屋出張所、東京支店を開設した。

会社再建と体制整備

学生服専業メーカーへ

拡大強化策を続けてきたことで過剰な商品在庫を抱えることになり、1957(昭和32)年、仕入れ先や銀行に支援を求めて経営再建を図ることになった。人員整理および人事刷新、営業方針改定を行い、1959年に学生服専業メーカーとして再出発する。地域の学生服専門店と連携を深めるため有力小売店会を結成したほか、同年9月に小倉出張所(現・福岡支店)を開設し、翌年には札幌出張所を支店に昇格させ、各地の販売拠点を充実させた。

1925-1945年

学生衣料総合メーカーとして

女子中学生、小学生の制服化推進

合成繊維メーカーとのタイアップで、ナイロン・テトロン学生服を率先して扱ったことが、事業の成長につながり、学生服専業化は順調に進んだ。さらに1961(昭和36)年からは、素材メーカーとのタイアップで女子中学生や小学生の制服化運動を推進したほか、1962年には学生衣料全般における商品開発力の強化のためデザイン研究室を設置。体育衣料、スクールシャツ、スクールセーター、コートなどの幅広い商品化・販売活動を展開していく。

学生向けカジュアルウェアの開発

1966( 昭和41)年、学生向けカジュアルウェア「キャンパックス」を商品開発。学生の声を商品企画に取り入れて製品化し、1969年に12~17歳対象の「キャンパックスジュニア」、1970年には「レディスキャンパックス」を発売する一方、ジーンズのカジュアル化、ファッション化も加速させた。また、主力の「スクールタイガー」部門でも新機能を取り入れた夏用学生服やスクールコート、スクール水着などのラインナップを充実させた。

ブランド導入によるフィールド拡大

話題を呼んだ広告宣伝活動

時代変化に合わせた学生服への要望が高まる中、キャンパックス商品化のノウハウを生かしてブレザータイプの学校服の商品企画を進め、生産部門では専属工場を集約してフランチャイズ方式の体制づくりを強化した。1972年には、自社企画で当時流行したフォークソングのテレビ番組を提供したほか、人気タレントを起用したテレビCMも話題を呼んだ。1971年には全国の有力専門店が「スクールタイガーサークル」を結成、連携強化と共存共栄を目指す活動を開始した。

海外ブランドとの提携活発化

1970年代は、学生服自由化とブレザーの時代を見越し、英国ベンウイリアムス社とブレザー輸入の契約を結んだのを皮切りに、海外ブランドや素材メーカーとの取引や提携が活発化。1973(昭和48)年の石油危機を契機に「質への追求」を掲げ、新製品の創造に力を入れた。以降、女性用フォーマルウェア「チャームルビー」、米国チップ社との提携によるキャンパックス商品の拡充、新しいテトロン素材の運動衣料「メリタス」など新機軸を次々と打ち出した。

1925-1945年

制服モデルチェンジブームの中で

女子中学生、小学生の制服化推進

80年代初め、第二次ベビーブームがピークを迎え高校の新設が相次ぎ、校風のアピールのため従来の学生服から徐々にブレザーや各校オリジナルの制服にシフトする学校が増えていった。需要が拡大する中、1982( 昭和57)年、広告に漫画家の手塚治虫氏を起用。1983年8月に仙台営業所、同年9月に広島営業所を開設し、1984年にはファッションデザイナーの石津謙介氏をスクールタイガーの顧問として迎えた。

オリジナル・DCブランド制服への展開

80年代後半から学生服をブレザー型などにモデルチェンジする学校が増え始め、当社はキャンパックスの開発で培ったノウハウを生かしてブレザー型の学生服を開発するとともに、1987(昭和62)年7月にコシノヒロコ?と業界初となるデザイナーズ契約を締結。洗練された都会派感覚と機能美を兼ね備えたヒロココシノスクールウェアを発表した。一方、メンズカジュアル分野からの撤退、新規分野への進出など、事業再編・開拓にも取り組んだ。

新機能・品質を追求した商品開発

「スクールタイガー」のブランド力向上へ

当社は80年代から新機能を取り入れた商品開発に力を入れ、「洗濯機で丸洗いできる」「ストレッチ素材の採用」など、学生がより快適に過ごせて、扱いやすい学生服の研究を続け、安心と信頼の「スクールタイガー」のブランド力向上に寄与した。1987(昭和62)年には一貫生産を実現するためにCAD/CAMを導入し、これまで以上にきめ細かいサービスに対応、スピーディに商品を提供できるようになり、より幅広いラインナップが整った。

「同心円立体裁断」商品の発売開始

1988(昭和63)年、体型に応じた設計理論を基にした同心円立体裁断による「スクールタイガーα」を発表。1991(平成3)年に商標を登録し、発売を開始した。背面を中心に衣類の重みを分散し、型くずれしにくく、軽い着心地を実現。スクールライフをより快適に過ごせる商品として好評を博し、2003年にはさらに着用感を大幅に改善した「同心円・TCS(タキモト・キュービック・システム)理論」の特許を出願、認可された。

1925-1945年

多品種小ロット短サイクル時代へ

東大阪市に本社移転。全国で営業所開設

1992(平成4)年12月、本社を東大阪市西石切町に移転し、社内に最新の商品サンプルなどを常設展示するショールームを設置。本社と在庫拠点が一体となった“商物一体”のメリットを生かして、多様化するニーズにきめ細かく応える体制を構築した。また、茨城県水戸市を始め各市に営業所を開設し、地方都市圏でも広がりつつあった制服の個性化・ファッション化の需要に対応。1994年には「タイガースポーツウェア」ブランドを立ち上げた。

ベネトン社とライセンス契約

私学を中心にDCブランド制服が採用され、オリジナルデザインの傾向が強い1990年代から、2000年代は社会情勢やファッショントレンドの影響を強く受けるようになった。2003(平成15)年5月、世界的アパレルブランドのベネトン社とスクールユニフォーム分野でライセンス契約を結び、翌年春から販売を開始。2004年にはトーアレディースと業務提携(2007年に統合)し、女性向けユニフォーム業界の販路拡大を進めた。

学生服専業メーカーとしての差別化戦略

新世紀にふさわしい学生服開発

1998(平成10)年、環境対策商品「エコマインド」学生服の開発・販売をプレス発表し「環境配慮型モノづくり」に本格的に取り組み始めた。2008年には日本で初めて全自動洗濯乾燥機に対応した詰襟学生服「パワードライ」、翌年には日本初となる消臭効果の高い新素材「MOFF( モフ)」を採用した「MOFFCLEAR(モフクリア)」を上市、画期的商品として高評価を得た。以降、オンリーワン商品の開発にますます力を入れていく。

「装育」という教育概念を提唱

2008(平成20)年、当社は「“装い”は、?の意識と?動を変える」という考えをもとに、制服の着用を通じて社会性や学生としての自覚を身に付けることの大切さを伝える「装育」という教育概念を提唱。学生を対象に制服の役割や着こなし方、お手入れ方法などを分かりやすく伝える「装育セミナー」を開催し、学校服専業メーカーの姿勢を明確に打ち出した。一方、大阪を始め地域有力販売店を子会社化し、学生服市場の流通再編を進めた。

1925-1945年

提携ブランド多角化と物販効率化

学生自らが決める制服デザインへ

社会情勢やファッショントレンドによって学生服のデザインが変化していく中、当社初の女子制服ブランド「ハニートルテ」を2011( 平成23)年から発売開始した一方、2016年にスコットランドの「DCダルグリーシュ」とライセンス契約した。またコラボレーション企画としては2015年に英国の「KANGOL(カンゴール)」と、2016年には「ミズノ」とコラボレーションし、それぞれの技術を融合させた学生服がグッドデザイン賞を受賞した。

モデルチェンジへの対応とDX化

素材や機能面の進化に取り組んできた当社は、2012(平成24)年に動きやすさと着心地を追求した「lactive(ラクティブ)」を本格展開。2020(令和2)年には、コロナ禍を受けて抗ウイルス・抗菌シリーズ「TAIGUARD(タイガード)」を開発した。またDX化として、制服販売の業務効率化をサポートする学校別ECサイト「ガクハンネット。」の本格運用を2022年から開始。わずか1年ほどで同サイトの活用校は全国で約50校に上った。

社会課題への対応とガバナンス強化

次代を見据えたアライアンス

少子化による緩やかな市場縮小を背景に、2010(平成22)年、当社は繊維事業を海外展開する住金物産株式会社(現・日鉄物産株式会社)の連結子会社に。2019(令和元)年5月には日鉄物産が株式会社トンボに当社株式を譲渡し、トンボのグループ子会社となった。トンボとの経営統合後も独自性を維持しながら経営資源の効率化、共有化、集約化を図り、販売の前線では競合相手として切磋琢磨しながらシェア拡大を目指していく。

多様性、持続可能性を考慮した商品開発

SDGsやサステナビリティの観点から、当社では2020(令和2)年からLGBT制服の開発に着手し、多様性を尊重するジェンダーレスでインクルーシブな制服の開発に力を入れた。また2023年にはフェーズフリー協会から学生服メーカーとして初めて「フェーズフリーアクションパートナー」に認定。日常時だけでなく災害時にも役立つデザインという考え方“フェーズフリー”の観点からの商品づくりも進めている。

100年周年記念の取り組み

100周年記念ロゴ

「子どもたちとずっと一緒に」という思いを込めて、100周年の文字の間から瀧本のキャラクターたちが明るい未来をのぞいているロゴになっております。

100周年記念タータンチェック

創立100 周年を記念して作成したコーポレートタータンは、感謝の気持ちと瀧本が築き上げてきた思いを表現しています。平和と安らぎを表現したターコイズブルーベースのタータンに、コーポレートカラーでもある希望と幸福のイエローを差し込みバランスよく表現しました。

学校CMコンテストの実施

「魅せろ!日本一の学校愛」をテーマに、自分たちの学校の魅力について学生目線の学校生活や自校にしかない特徴や魅力をPRする30秒以内の動画を募集します。
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