スクールタイガー誕生秘話

学校関係者向けコラム
2021.07.05

会社の歩みと共に誕生した「スクールタイガー」。

2024年で100周年を迎える「瀧本株式会社」は、大正14年、「瀧本合名会社」として紳士服などの卸問屋が多い関西の地で誕生しました。
婦人服や子供服を取り扱い、創業10年で子供服の業績が全国1位となり、その後も全国の百貨店や海外にまで得意先を広げ、いつしか日本を代表する企業へと成長。
また、商品のイメージアップを図り、作られたのが、現在のスクールタイガーの前身となる「虎印学生服」でした。
その後、昭和23年に現在の「瀧本株式会社」に社名を変更。当時、国営の鉄道会社に物資を販売できる権利を持つなど、社会的な信用も高かった瀧本は、高級婦人服や子供服、そして本格的に「スクールタイガー」ブランドの学生服を手がけるようになりました。

「スクールタイガー」ブランド確立への道。

元々、婦人服などのアパレルを生産していた瀧本では、そのノウハウを生かしながら、生地や縫製、見えない裏地など、強いこだわりのもと丈夫で着やすい学生服を提供してきました。
特に男子学生服の詰襟は、当時から評判が良く、たとえコストがかかっても、瀧本の製品が選ばれることが多くありました。
また、従来の学生服の常識にとらわれず、年齢サイズから学生服を号数サイズに変更したり、日本で初めてカラーをつけた学生服を発売するなど新しい試みに挑戦し続けることで「スクールタイガー」の認知を拡大。
さらには、宣伝カーで全国キャラバンを行ったり、プロ野球選手を招いたイベントを行ったりと学生服をただ販売するだけではなく、学生に夢や希望を与えるプロモーション活動を行ったことにより、1970年の大阪万博では、電光掲示板で広告を展開するなどスクールタイガーは当社の基幹ブランドとして確立されていきました。

常に新しいことに挑戦し、進化を続ける。

時代は変わり、詰襟が主流だった学生服は徐々にブレザーや各校オリジナルの制服にシフトする学校が増えていきました。
その時代の流れに柔軟に対応し、幅広い要望にお応えできるよう、コシノヒロコ氏との業界初となるデザイナーズ契約やベネトンとのライセンス契約などを積極的に行ってきました。
その中でも、「スクールタイガー」は、根本となる理念は変えず、新素材の採用や機能の充実など時代のニーズに合わせて進化を続け、現在でも、スクールタイガーブランドのオリジナル制服が約9割のシェアを誇っています。
瀧本は、業界のパイオニアとして新しいことに取り組み、常に画期的な提案をしていきたいと思っています。
一歩先を見つめる企業姿勢は、お客さまに望まれていることでもあり年々と受け継がれてきた、社風でもあるのです。

学校ブランディングに貢献する制服づくりを目指して。

瀧本では現在、「スクールブランド計画」を掲げています。
それは、ただ単に新しい学生服を提案するのではなく、各学校の学校理念や教育理念を表現した制服をつくることで、学校そのものをブランド化しようという考えです。
そのためにも、ご要望があった学校の校風や考え、そこに通う生徒のこと、5年、10年先の目指されている方向などをしっかりヒアリングとリサーチをした上で我々がサポートできることを、制服づくりを通してご提案しています。
制服の分野でシェアを広げることももちろん大切ですが、「瀧本と取り組んでよかった」と、一校でも多くの学校に言っていただけるようこれからも常にお客さまに寄り沿いながら、制服のご提案を通してより高い効果を得られる学校のブランディングづくりに貢献していきたいと思っています。

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